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太宰もファン、“看板娘”逝く-三島の老舗洋菓子元店主・菊川千代子さん 明治から平成を気丈に生きた96年

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店を切り盛りする菊川千代子さん(昭和10年代に撮影、菊川さん方提供) (2009年01月15日(木)静岡新聞掲載)

三島市広小路町に本店がある洋菓子の老舗「ララ洋菓子店」の店主だった菊川千代子さん(同市芝本町)が九十六歳で亡くなり、十四日、告別式が行われた。夫の故儀雄さんとともに昭和七年に創業した喫茶室もある店には三島で一夏を過ごした太宰治も通い、千代子さんのファンだったという。千代子さんを知る人たちは明治、大正、昭和、平成を気丈に生き、多くの人に慕われながら七十歳まで店に立った“看板娘”をしのんでいる。

千代子さんは東京に生まれ、三島の和菓子屋の三男だった儀雄さんと結婚。東京のハイカラな空気も吸っていた儀雄さんは「俺は洋菓子で行く」と千代子さんと現在の本店所在地に店を開いたという。

太宰は昭和九年八月、同市泉町の故坂部武郎さん方に約一カ月滞在し、「ロマネスク」を書き上げた。作家で県伊豆文学フェスティバル委員の中尾勇さん(同市大宮町)が坂部さんに聞いた話では、太宰は毎日のように散歩の途中に店に寄ってレコードを聞きながらコーヒーを飲み、千代子さんのことを「自分好み」と話していたという。

千代子さんの長男の恒明さん(75)によると、千代子さんは太宰が店に来ていた認識は特になく、子どもたちに話したこともなかった。

千代子さんは三十年ほど前に儀雄さんを亡くし、店を恒明さん夫婦に任せて以降もアドバイスを惜しまず、茶道や俳句などの趣味にも熱心だった。恒明さんは「ぐちを言わず、楽天的で好奇心がおう盛。お菓子のことで工夫を欠かさなかった」と千代子さんの遺志を受け継いでの家業発展を誓っている。(2009年01月15日(木)静岡新聞掲載)
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