4代続いた豆腐店の看板娘 | 47URARA

地域情報発信!全国の地方新聞社厳選 47URARA(よんななうらら)

47CLUB

全国津々浦々の【新鮮】地元情報!“地元発!”のタイムリーな情報を毎月テーマに沿ってお伝えする『47URARA(よんななうらら)』

1月ザ★カンバン★むすめ!

4代続いた豆腐店の看板娘

Bookmark and Share Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをはてなブックマークに登録

4代目店主の間嶋定子さん

大正5年の創業以来、4代にわたり女性店主で店を切り盛りしてきたのが、室蘭市輪西町の間嶋豆腐店です。4代目店主の間嶋定子さんは「初代から4代までいずれも富山県出身の間嶋家の嫁が、味と暖簾(のれん)を受け継いできました」と同店の歴史を話してくれました。

定子さんは昭和40年6月に3代目店主・間嶋たけさんの長男・啓太さんと結婚。以後、たけさんから現在も使用している薪(まき)を燃料に創業当時のままの豆腐作りの教えを受け4代目を任されました。時は高度成長時代。定子さんは初代が作りあげた伝統の薪窯製法の豆腐作りを継承するとともに、自身の研さんとして着付けと書道を学び、現在は有名きもの学院の分校、成家として書道教室も開いています。地域に溶け込み、支えられて時代を乗り切ってきた定子さんですが、長女・千香子さんの結婚を機に平成19年、娘婿の斉藤由雄さんに5代目店主を譲りました。しかし厚揚げ・子揚げ作りは現役です。

初代の間嶋ツネさんは富山県氷見市から北海道へ夢を抱いて移り住みました。当時の室蘭は明治40年に日本製鋼所室蘭製作所、同42年に新日本製鐵室蘭製鐵所の前身・北海道炭礦汽船輪西製鐵所が創業し、活気に満ち溢れていました。創業店は鉄鋼業に携わる人々が暮らす輪西地区の住宅街。早朝から木綿豆腐、厚揚げ、がんもを毎日一定量のみ作り続けました。ツネさんの信条は「これ以下にはせず、これ以上は望まず」で、卸や歩き売りはせず、したがって現在でも店の看板がありません。

厚揚げは温度加減が大切

2代目店主は間嶋静子さん、3代目店主の間嶋たけさんはアメリカ軍の艦砲射撃と空襲を受けた第2次世界大戦前後の激動の時代に暖簾を守り続けました。各代とも看板がないこともあって「豆腐屋の婆さん」の名で親しまれ、間嶋豆腐店の看板娘の役割を果たしてきました。5代目店主の斉藤由雄さんは「先代が継承してきた明治の懐かしい味(豆腐)を守ります」と100年続く“間嶋百年豆腐”作りに奮闘しています。

明治の味そのままの厚揚げ


地図※大きな地図をご覧になりたい方は地図画像をクリックしてください。