
万十屋の女将、松隈幸子さん。
四七太郎:万十屋さんといえば、すき焼き風もつ鍋の元祖として有名です。
幸子さん:はい。戦後、母と私の二人で始めました。店はもともとその名の通り和菓子屋だったのですが、戦後は売るものがなく、モツを仕入れて店の傍ら鍋にして出したのが始まりです。当時モツを食べるのは一般的ではなく、「1号」である一般的な食肉に対して、モツは「2号」と呼ばれていましたので、料理の名も「2号鍋」などと呼んでいました。最初はもつ鍋だけでなく、あるものを料理して出す定食屋のような商売でした。
当時私は小学3~4年生。初めてモツを見たときは正直、生々し過ぎてショックだったのを覚えています。臭みを抜くために母と二人、仕入れたモツに小麦粉をまぶして必死になって洗いました。そのこだわりは現在、オゾンを注入した水で徹底的に洗う洗浄法へと昇華しています。今も「モツの洗い」にかけては自負があります。
S美:食べる習慣のないモツの煮込み鍋、すぐには売れなかったのでは?
幸子さん:それがありがたいことに、売れ行きは当初から順調でした。当時店があった金武村の方々の間で、万十屋は安くておいしい鍋を出すと評判になり、次第に2号鍋ばかりに注文が集中するようになりました。金武村が福岡市に編入される(1960年)と村外からのお客さんも増え、客席が不足し始めます。2階の10畳間と8畳間を客席にして、次に仏間も開け、はては廊下まで畳を敷いて客席にしていました。もつ鍋という名で呼ばれるようになったのはその頃からでしょうか。
店はますます拡大し、手狭になったので家の隣に6畳間4つ分の広さの別棟を建て増し、それでも足りず、1994年に約200席ある今の店を構えました。折しも空前のもつ鍋ブームが到来し、連日行列ができるほど盛況に。県外からのお客さんも多く、北海道ナンバーの車を見かけることさえ少なくはありませんでした。

鍋を見つめるまなざしが優しい。
四七太郎:順調だったんですね。
幸子さん:もちろん客商売なので浮き沈みはあります。思い返すと大きく沈んだのは2回。1つは道路交通法改正で酒気帯び運転の罰則が規定された(1970年)とき。それまで気軽に立ち寄ってくれたお客さんが来られなくなり、がくんと客数が減りました。ただ、これは時代の流れでもあり当然のことです。1台の車に乗り合わせて来てくれるなどありがたいお客さんも多く、客足は次第に盛り返しました。もう1つはBSE問題のとき。ある日突然客足がばったりと途絶え、1日にお客さんが1、2組というつらい状況に陥り、1年近くも続きました。これはつらかった。
四七太郎:渦中にあっては、いつになったらお客さんが戻ってくるのか、先が見えませんしね。
幸子さん:そんなときに助けてくれたのもやっぱりお客さん。消防団や森林組合さんなどに、納会などの集まりで店を使ってもらったり、1年に何回も同窓会を開いてくれる人たちもいました。苦しいときのことを思い出すと、助けてくれた方々のお顔がすぐに浮かんできます。
S美:今も幸子さんが店を仕切っているんですか。

常連さんたちが集まるとすぐに、プチ同窓会が始まる。
幸子さん:いえいえ。今は店長や義理の娘に任せ、私は夕方から店に出ます。ただ、味のチェックだけは必ず私がしています。私はあまり趣味などもなく、働くことが生きがいですし、「おいしい」と言ってもらうことが幸せです。もう60年以上この商売をしていますが、辞めたいとか、他の道に進みたいなどと思ったことは一度もありません。
夫と息子夫婦、娘、孫3人の家族8人で暮らし、毎日店に出て、孫と本気になってケンカしたり、時には友達と旅行に行ったり、楽しく過ごしています。いつまでもずっと現役で、万十屋の看板を掲げていたいですね。
さ、もう話はこのくらいで。あなたたちも食べて、食べて。
四七太郎・S美:いただきます。
(※この記事は松隈幸子さんのお話を基に再構成したものです)
もつ鍋 万十屋
TEL.092-801-4399
営業時間/11:30~22:00
定休日/月曜日 (月曜祝日の場合、翌日休み)
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