
なぞの多い吉見百穴
埼玉県民ならだれもが知っている「吉見百穴(よしみひゃくあな)」という史跡がある。吉見町にある古墳時代後期の横穴墓群の遺跡で、大正12年に国の史跡に指定された。
近寄って見ると、岩山の斜面に無数の穴が空いており、不思議な光景だ。現在確認されている穴の数は219個。穴の入口は直径1メートル程度で、かつてはコロボックル人の住居ではないか、との学説が有力だったいう。

薄暗いトンネル内
この岩山には、幅4メートル、高さ2メートルほどの巨大なトンネルが広がっている。昭和20年初頭から8月まで、地下軍需工場用に掘られたもので、左右約500メートルにわたり山腹に掘られている。一部が公開。中は涼しい。ひんやりしている、と言ったほうが適切か。
掘削は、全国各地から集められた3000~3500人の朝鮮人労働者により昼夜を通した突貫工事で進められた。ダイナマイトを使用した人海戦術で、危険な掘削工事だったと伝えられている。落盤事故で亡くなられた方ネット上ではよくミステリースポットとして扱われており、違った意味で背筋を凍らせてくれる。

軍需工場跡入口
吉見百穴には、幻想的な緑色の光を放つ「ヒカリゴケ」が生育している。関東平野に生育するのは大変珍しく、国指定の天然記念物に指定されている。
周囲は、北武蔵地方屈指の平山城として名高い「松山城」の跡にもなっている。松山城は、豊臣秀吉による小田原征伐の際、前田利家や上杉影勝の大軍により包囲され、落城した。本曲輪を始めとする主要な平場や、深さ最大9メートルある空堀などが残されている。
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