冬の鉄道ロマンへの旅~廃線跡を訪ねて~ | 47URARA

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冬の鉄道ロマンへの旅~廃線跡を訪ねて~

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天理・A法隆寺駅近くの橋台跡

「軽便(けいべん)鉄道」という鉄道が昔、奈良県にも走っていたことを知っていますか。軽便鉄道とは、大正時代から昭和初期にかけて作られた今の鉄道より小規模なミニ鉄道です。そんな軽便鉄道が走っていた跡を、今もわずかに見ることができます。天理軽便鉄道の、今は知る人も少ないという法隆寺―平端駅間を歩いてみました。

廃線跡を歩く旅 ~大和盆地を横切る線路跡~

天理・C-2池の橋台アップ

JR法隆寺駅のすぐ南側に、軽便鉄道の新法隆寺駅があったそうです。今は駅前再開発の工事が進み、昔の姿は残っていませんが、近くの水路にはレンガ積みの橋台が残っています。東に進むと住宅地に入り線路跡は分からなくなりますが、住宅地を越えて田園風景の中、農道を進むと、先ほどと同じような小さな橋台が見つかりました。その農道は水田を斜めに横切るように延びており、左手にJR大和路線を見ながら北東に進むと富雄川にぶつかります。工事中の堤防に登って振り返ると、線路の跡と思われる農道が曲線を描いて川に続いていました。

当時鉄道が通っていた橋は既にないため迂回すると、富雄川の東側に木戸池という池があります。池のほぼ中央に築堤が作られて線路跡は続き、その中ほどにはレンガの橋台が残っています。ここがこの廃線跡の一番の見所だそうです。

池を越えると、線路跡は住宅地や県道に吸収されており、廃線を思わせる跡は見えなくなります。県道を東に進み、安堵町の役場も越えるとバス通りと逆に、線路は東北東に曲がっていたそうですが、水田となっており線路の跡は確認できません。水田を抜け、大和中央道を越えると、その辺りから線路は方向を変え、平端まで一直線に延びていたそうです。線路跡に現在はサンヨー食品の工場があるということで工場の東側に回ると、南東に向け、一直線に延びる道路が表れました。この道は、まっすぐ近鉄平端駅まで続いていました。

天理・C池の築堤と橋台

距離にして約4km。大正4年に完成し、途中で大軌(現在の近鉄)に買収され、戦時中の昭和20年に営業を休止したという法隆寺―平端間。間には「安堵駅」「額田部駅」があったといいます。大和平野を横切る鉄道は田園風景の中、コトリコトリとのんびり走っていたことでしょう。
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