我に七難八苦を 忠臣・山中鹿介 | 47URARA

地域情報発信!全国の地方新聞社厳選 47URARA(よんななうらら)

47CLUB

全国津々浦々の【新鮮】地元情報!“地元発!”のタイムリーな情報を毎月テーマに沿ってお伝えする『47URARA(よんななうらら)』

4月ご当地英雄特集

我に七難八苦を 忠臣・山中鹿介

Bookmark and Share Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをはてなブックマークに登録

月山・太鼓壇公園にある山中鹿介(幸盛)の銅像

「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」

この言葉を聞いたことはありませんか?
誰の言葉か知っていますか?

そう、これは島根の誇る戦国武将、山中鹿介(幸盛)の言葉です。
鹿介が仕えていた尼子家再興を願い、三日月に祈った言葉です。

えっ、山中鹿介を知らない?弱ったなぁ~。
この人の人生、かなりドラマチックなので、説明すると長くなるんですよ。
短い言葉で語るのは無理なんです。どうしようかなぁ~。

そこをあえて短い言葉で? う~ん、
「忠義の武将」、「悲運の名将」
くらいしか言葉が思い当たりません。

出雲の戦国大名、尼子氏の家臣で、敵の武将が鹿介の名前に対抗し「狼介」と名乗るくらい対抗心を燃やされた豪傑。一度は毛利に滅ぼされた尼子氏を再興させるためだけに人生を費やしたと言っても過言ではありません。その生き様はまさに「忠義の武将」。

でも、結局、尼子氏を再興することはできませんでした。織田軍の配下に入って、毛利勢と戦い、一旦はいいところまでいくものの、最後には織田軍から見捨てられる形で尼子軍は孤立。毛利軍に敗れ、主君・尼子勝久は自害、鹿介も捕られ、安芸に送られる途中で殺されてしまいます。

うわっ、すごいはしょってしまった(笑)。
凄さが伝わるかなぁ?

この忠義ぶり、そして織田軍に見捨てられた悲劇的な運命などが後世の人々の心をうち、名将として語り継がれているのでしょう。昔は教科書にも載っていたそうです。

鹿介が帰るのを夢見た月山

鹿介が帰るのを夢見たであろう尼子氏の居城・月山富田城跡。難攻不落と言われた山城の造りを今に伝えています。月山山頂からの眺めも素晴らしく、鹿介もきっとこの眺めをもう一度見たかったに違いない、そう思わせる風景です。

この月山富田城跡のある島根県安来市はご存知、安来節、どじょうすくい発祥の地でもあります。地元旅館ではどじょうの踊り食いも楽しめます。安来産のどじょうは泥臭くないので、とても食べやすく、栄養も満点。お立ち寄りの際は、ぜひぜひお試しを。47CLUBでは「あるも~る」さんからどじょうを購入できますよ♪
地図※大きな地図をご覧になりたい方は地図画像をクリックしてください。

おすすめの記事

オススメの記事はまだありません