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4月ご当地英雄特集

戦国武将人気ナンバーワン、真田幸村の足跡を訪ねる

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真田幸村戦死跡之碑には今も手を合わす人々が絶えない

ご当地英雄特集を書くに当たって、すぐに頭に浮かんだのが3月7日の産経新聞朝刊に載った「戦国武将人気1位に真田幸村」の記事。真田幸村といえば、慶長19(1614)年の大坂冬の陣、20(1615)年夏の陣で活躍した豊臣方のの武将だ。本名は真田信繁といい、講談や小説の「真田十勇士」の将として活躍した幸村の名前が有名だが、その実、当時の書物には真田幸村という武将はまったく登場しないというから不思議だ。

四天王寺近くの安居神社が幸村終焉の地

大坂冬の陣、夏の陣で活躍したのだから、大阪には幸村ゆかりの地がいくつかある。
まずは真田山公園一帯。幸村はこの辺りに出城の「真田丸」を築き、大坂冬の陣を戦った。この真田丸は大阪城で唯一防御が薄かった玉造口を補強するもので、近くの宰相山(しょうさいやま)公園の一角に建つ三光神社には、真田幸村の像と真田の抜け穴跡が存在する。この抜け穴は大阪城とつながっていたとも言われるが定かでない。しかしながら、真田丸に陣取った幸村の戦果は上々で、「天下一の弓取り上手」「戦上手」といわれた徳川家康をもってしても和平の道をとらざるを得なかった。

和平後、家康は真っ先に真田丸を壊させ、さらに外堀、内堀をも埋めさせ、大阪城を裸同然にした上で、大坂夏の陣に突入する。

夏の陣でも幸村は活躍するものの、戦局は常に徳川方に利していた。また、幸村が立てた作戦が忠実に決行されなかったこともあり、家康の本陣への突撃という特攻作戦につながっていく。ここに至って、ようやく毛利勝永勢らが奮闘を見せたこともあり、家康に肉薄。家康は自刃すら考えたという。しかし、武運なく、四天王寺近くの「安居神社(安居天満宮)」の境内の一本松の下で、越前松平勢の西尾仁左衛門宗次に討ち取られた。享年49歳。

六文銭をあしらったお守りが人気

今日、神社境内には「真田幸村戦死跡之碑」があり、幸村の旗印である「六文銭」をあしらった絵馬やお守りなどを求める参拝者も多く、多くの歴史ファン、「歴女」が訪れる。中島一熈宮司も「4、5年前から女性の方の姿が増えましたね」と語る。5月5日11時30分からは、慰霊祭である「幸村まつり」が執り行われる。
また、前記の宰相山公園の近くには、昌幸、幸村親子の冥福を願って創建された心眼寺がある。
地図※大きな地図をご覧になりたい方は地図画像をクリックしてください。

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