
【大原美術館】 倉敷川の掘割沿いに威風堂々の姿を見せる。右手の橋は今橋。石の欄干に虎次郎のデザインした竜が線刻されている。(山陽新聞社提供)
「わしの眼は10年先が見える」―。岡山県倉敷市が生んだ偉人、大原孫三郎(1880〜1943)の言葉です。今、日本は10年先はおろか、1、2年先も見通せない視界不良の状態。そこで、孫三郎の町・倉敷を案内しながら彼の功績をご紹介しましょう。
JR倉敷駅を降り立つと、「倉敷美観地区」まで徒歩15分ほど。「厨子二階の白壁」に「塗りごめ窓」。倉敷川河畔の「本葺き瓦の黒屋根」に、柔らかな春の日差しが照り返っています。しっとりと落ち着いた空間が広がり、江戸情緒たっぷりの雰囲気。その中にあって西洋近代建築の偉容を見せるのが大原美術館です。

大原孫三郎(大原美術館提供)
大原美術館は1930(昭和5)年、大原孫三郎が画家児島虎次郎に収集させた西洋絵画を陳列するために創立した日本初の西洋近代美術館。本館正面のロダンの彫刻に出迎えられて、館内に足を踏み入れると、エル・グレコをはじめ、ゴーギャン、ロートレック、モネなど、巨匠の名画がずらり。日本の画学生らに見せたい一心で西洋絵画を収集した虎次郎と、金は出しても口は出さずに支援し続けた孫三郎。倉敷を日本の精神文化の中心にしたいという孫三郎の志は今も同美術館に受け継がれ、洋の東西を問わず近代から現代の美術、民芸復興運動に活躍した作家までコレクションを広げています。
→山陽新聞HPの「山陽タウンナビ」でも紹介しています。
その資金は、「倉敷紡績」(現・クラボウ)の創業家に生まれたから出せた―とはいえ、「金のある家に生まれた者は、それだけ責任が重い。その金の使用法は必ず神の御心にかなうようにせねばならぬ」という理念があったからこそ。実業家として岡山県の経済基盤を整えるために奔走する一方、社会に惜しみなく還元したのです。

【倉敷アイビースクエア】赤煉瓦にツタのからまるホテル。倉敷は江戸 時代、幕府の天領として栄え、代官所がここにあった。(山陽新聞社提供)
孫三郎は美術館設立の他にも大原社会問題研究所(現・法政大学大原社会問題研究所)、倉敷労働科学研究所(現・労働科学研究所)、倉紡中央病院(現・倉敷中央病院)創設など、すべての人が幸せに暮らせるよう先覚的な事業を行っています。人生の師、石井十次が運営する岡山孤児院を資金面から支援、延べ3000人もの孤児を救い、社会福祉を実践したことはよく知られるところです。
倉敷紡績の工場を改装したホテル「倉敷アイビースクエア」にたたずむと、郷土倉敷とそこに暮らす人々を愛する情熱が、孫三郎をして10年先をも見通させたように思えます。本物の文化に出会いに、“日本人の心のふるさと”倉敷を訪ねてみませんか。
■大原美術館公式HP
■近くにある見所スポット
・倉敷アイビースクエア公式HP
・倉敷民芸館47CLUBショップページ
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