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4月ご当地英雄特集

意外といない京都の武将。そして地味すぎる兵(つわもの)どもの夢の跡

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敷地の隅に申し訳程度に立つ本能寺跡の記念碑

京都に縁の戦国武将、なんだか沢山いそうですが意外といません。なんせ都ですから、秀吉も家康も、皆さん通り過ぎては行きますが、元はといえば貴族の都。「おらがまちのヒーロー!」という感じの人がイメージできないのです。

さて、戦国最大のヒーロー織田信長。幕末最大のヒーロー坂本龍馬。今も人気の高いこの二人、その夢が破れ散っていった場所が京都です。しかしそこは長年、時の権力者を受け入れつつ、さらりと受け流してきた京都人の性、散っていった人に対する扱いは地味そのもの。

龍馬最期の地、公宮は今はコンビニに

「本能寺の変」で有名な本能寺は、信長の死後、豊臣秀吉によって現在の位置に移されました。漬物屋さんや洋服屋などの並ぶ商店街の中ほどにあります。大通りへ抜ければ、京都の繁華街河原町通りということもあってか、裏路地には恋人たちが愛を育む施設もあり、生活感あふれる商店街と繁華街の間にひっそりと佇みます。訪れた修学旅行生が入口の前を素通りする光景ももはや風物詩。そして、信長が討たれた元の本能寺があった場所は、最近まで小学校があり、今も高校や市の施設として使われている。その歴史的事件を示すものは、敷地の片隅に一本の記念碑が建つのみです。

そして、幕末のヒーロー坂本龍馬最期の地、近江屋跡も同じく一本の石碑が立つのみであったが、近年ようやく商店街振興会によって来歴を書かれた案内板が立ちました。しかしいまやコンビニエンスストアとなったその地で、入口横に佇む石碑に目をやる地元民は意外なほど少ないのです。
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