
正面入口の様子
今年の大河ドラマは竜馬ということで、また幕末ブームが起こっていますよね。幕末の英雄と言えば、九州地方、関西、関東などに多いかと思いますが、北国八戸にも幕末の英雄がいるのです!
元々、南部八戸藩は、寛文4年(1664)盛岡藩主南部重直が、次の藩主となる後継ぎが定まらないまま死去したため、同年幕府はもとの藩領10万石を分割し、あらためて8万石を重直の弟重信に与えて盛岡藩とし、2万石をその下の弟直房に与えて八戸藩とする裁定を下し誕生しました。

八戸南部氏庭園案内板
その9代藩主、南部 信順(なんぶ のぶゆき、1814~1872年)は薩摩藩主・島津重豪の十四男として生まれ、八戸藩の第8代藩主・南部信真の婿養子となりました。このときつくられたのが、八戸売市にある八戸南部氏庭園。(毎年、春と秋に期間限定で公開)
1838年に南部八戸藩の養嗣子として迎えられ、1842年に家督相続。重豪の息子の養子先は幕閣に列していた有力藩が多く、2万石しかない小藩・八戸藩への養子は異例でした。実家島津藩のお家騒動では、島津斉彬が薩摩藩主を継ぐよう幕府に運動したそうです。
1868年に戊辰戦争が勃発すると東北地方の北辺にある小藩であった八戸藩は奥羽越列藩同盟の圧力を直に受けることとなる。信順の実家が列藩同盟の敵方・薩摩藩であったためです。信順は列藩同盟には家老を立ち会わせ、一方で官軍側にたった秋田藩と密かに連携するなど、この難局を上手く乗り切り、結局一度も戦闘に参加することなく八戸藩の存続に成功しました。1869年(明治2年)には八戸藩知藩事となりました。1871年の廃藩置県により知藩事を辞任。1872年に死去、享年59歳でした。
薩摩藩に生まれ、動乱の幕末から八戸を守ってくれた英雄だと思います。
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