
山頭火は福岡から玄海灘沿いに、浜玉、佐志、湊、呼子、名護屋と東松浦半島を彷徨し、相知、多久市筋原、武雄を行乞して昭和7年1月31日嬉野温泉へ。行乞記には「一気にこゝまで来た、行乞三時間。宿は新湯の傍、なか/\よい、よいだけ客が多いのでうるさい。飲んだ、たらふく飲んだ、造酒屋が二軒ある、どちらの酒もよろしい、酒銘「一人娘」「虎の児」。武雄温泉にはあまり好意が持てなかつた、それだけこの温泉には好意が持てる。湧出量が豊富だ(中略)。茶の生産地だけあつて、茶畑が多い、茶の花のさみしいこと。嬉野はうれしいの(神功皇后のお言葉)。休みすぎた、だらけた、一句も生れない。ぐつすり寝た、アルコールと入浴とのおかげで、しかし、もつと、もつと、しつかりしなければない。」(山頭火全集3巻行乞記二より、春陽書店)
嬉野温泉は伝説によれば、神功皇后が戦の帰りに立ち寄られ、戦いで傷ついた兵士を温泉に入れて、たちまち兵士の傷が癒えたのだとか。それを大変喜ばれた皇后が、「なあ、うれしいの」と言われたことが、嬉野の地名の起源と伝えられています。
山頭火は嬉野温泉がえらく気に入ったらしく、同年3月14日から20日まで滞在しています。行乞記には「嬉野はうれしいところです、湯どころ茶どころ、孤独の旅人が草鞋をぬぐによいところです―」「老遍路さんと離別の酒を酌む、彼も孤独で酒好き、私も御同様だ、下物は嬉野温泉独特の湯豆腐(温泉の湯で煮るのである、汁が牛乳のやうになる、あっさりしてゐてうまい)これがホントウノユドウフだ!(中略)先日来の句を思いだして書いておかう。―「湯壷から桜ふくらんだ」「ゆつくり湯に浸り沈丁花」「寒い夜の御灯またゝく」三句を残しています。
山頭火が食した名物・温泉豆腐の誕生の由来は諸説あるようですが、藩営の温泉場であった古湯温泉に隣接する「東屋」は、藩の『湯の番所』でした。今の「板前東屋」代表の田中正司さんの先々代が明治の中頃、嬉野川の古湯温泉付近の水を使い豆腐を造り、川の近くより湧き出る温泉水を利用して美味で胃腸によい温泉湯豆腐を造り始めたのが、温泉湯豆腐のはじまり、と言う説です。湯豆腐は温泉の成分により湯が白濁し、豆腐はほどよくトロトロに。その秘密は、温泉の重曹成分の多さにあるそうです。特性のタレでいただきす。
山頭火自身無類の酒好きで、ぐでんぐでんに酔うまで酒を呑んでいたようです。山頭火がよろしいとほめている「虎之子」は、いまも井出酒造の人気酒です。店頭に10年前に「湯壷から桜ふくらんだ」の句碑を建てた井出洋子代表も山頭火が好きらしく、分け入っても分け入っても青い山、雨ふるふるふるさとははだしであるく、とすらすらと山頭火の句を詠み、魅力的に語ります。
嬉野温泉は佐賀県の南西部、長崎県との県境に位置し県内の温泉でも古く、泉質は重曹泉の無色透明のなめらかな湯ざわりで、日本三大美肌の湯と謳われ、40軒の旅館を数える温泉郷です。特産「嬉野茶」を美肌の湯にたっぷりと浸した日本でも大変珍しい「お茶風呂」が和楽園で楽しむことができます。巨大な石の急須から浴槽へとお茶エキスたっぷりのお湯が注がれ、肌がすべすべして、温泉を実感できます。
温泉でゆっくりからだを癒し、山頭火や斎藤茂吉、シーボルトたちが楽湯した時代に思いをよせ、また、町を散策し歴史に触れれば新しい発見あります。歴史を知れば旅は倍楽しくなります。







